自分語りの続きです。この話題が、どういう方向へ進むか未定ですが、成長をテーマにした物語をイメージしています。
前回、ネグレクトであることを告白しましたが、私は両親と小学校時代に別れており、成人してから父と2度、母と1度しか面会していません。
既に両親共亡くなっているので、今更確認できないこともたくさんありますが、記憶を紐解きながら私の幼少期について書いてみたいと思っています。
私は、自分の名前「功志」は、結構気にいっています。読みはよくある「こうじ」ですが、漢字変換は「こうじ」では出てこないことが多いです。
「こう」と「こころざし」を別々に変換するか、「せいこう」と入力して「成」を消して「こころざし」と入力します。
つまり、読みにくい音ではないが、そこそこオリジナリティがある(かぶりにくい)漢字であるところは、なかなかいいなと思っています。
この名前、父親が付けたということを、両親と同居していた時代に何度も聞かされました。
父曰く、「志が成功するように」とのこと。だったら「功」ではなく「成」(成るという意味で)を入れるべきではないかな…と、子ども心に思ったものですが、父に反論できるような理論構築はできず、ただふんふんと聞いていました(小学校低学年の頃です)
また、もう一つの由来として、父が尊敬する「孔子」にちなんだとのこと。
これはもう、ツッコミどころがさらに満載で、だったら「孔」を使うべきでは、というのと「孔子」の「子」は先生という意味、つまり「孔先生」ということなので、全然ちなんだことになってないと思うのですが、父がそのことを知っていたのかどうか確認の術はありません。
父曰く、どうやら本当は「こうし」という読みにしたかったそうですが、親戚の反対で「こうじ」と読むことになったそうで、それは正解だったと思います。
小さい頃は、マジンガーZの搭乗者「兜甲児」をはじめとして、「こうじ」という名前のヒーローも結構多く、シンパシーを感じると共に小さな自尊心をくすぐられたことを覚えています。
最近、思想関係の本を読むことが多く、それで「孔子」のことを思いだし、はじめて真面目に「論語」(孔子の思想集)を読んでみました。
ところが、いきなり「親孝行せよ」「父母を大切にせよ」のオンパレード…
結局この父は、自分を大切にすることを優先させたかったのか…と思うと、少々ゲンナリしたのが正直なところです。
ただ、三国志のことも以前書いたと思いますが、古代中国の思想や、詩の美しさは結構好きなので、孔子自体に厭うところはありません。特に、君子としての振る舞い方などは興味深く、しっかり学んでおきたいと考えます。