【連載】仮想世界の暮らし方 第6回

僕らが大人になれない理由

なぜ、私たちは大人になれないまま年齢を重ねてしまったのでしょうか。きっと、少年期にやり残したことがあるせいではないでしょうか?少年期にやり残したことは、空想により補うことができますし、私たちはそうやってバランスとってきました。

しかし、過ぎ去った少年期を現実に取り戻すことはできません。人生には、大人になったことで達成できることもあれば、大人になってしまったら、絶対に達成できないこともあります。「アニメの主人公のような学園生活」は、やりなおすことのできない例の一つで、空想世界で補完することが精一杯です。
では、現実に子どもたちは、どのような学校生活を送っているのでしょう。「学校」は子どもたちにとって、社会の中心です。社会の定義が「家族以外の人間と接する場」であるとしたら、学校は子供にとって社会そのものと言っていいかもしれません。

私たちは、子どもが大人に成長するために学校へ通っており、それが教育というものであると考えていませんか?しかし、実際の子どもたちは、大人になりたいと思いながら学校へ通っているのでしょうか?子どもたちに聞けば「大人になりたい」と言う答が返ってくるかもしれません。でも、それは「成長したい」というより「自由が欲しい」という意味に聞こえます。
子どものままで「自由」を手にすることができるとすれば、そちらを選ぶのではないでしょうか。

そして、「自由」について更に掘り下げると、主に「経済的自由」を指しているように感じます。いわゆる広義の「自由」、例えば「人間的自由」のようなものは、現代の学生や子どもたちは、既に充分獲得していると思うからです。大人になりきれない大人が年々増えているとしたら、そのような子どもを育てる「学校」システムの問題であり、子どもに罪はないと思うのです。

つまり、大人になりきれない大人たちに対して、「なぜ大人にならない」「早く大人になりなさい」と責めることは何の解決にもならないと思うのです。

「少年の心を持った大人」という言葉があります。その言葉に否定的ニュアンスはあまり感じません。私たちはオタクであることを楽しめる人生を送っています。もう少し視野が広く、そして自分以外の人間の気持ちも思いやれて、それでも少年の心を忘れないなら、そんな大人の人生も素敵なものだと思いませんか?

 

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