【連載】仮想世界の暮らし方 第9回

安全地帯からの批判

ネット上の叩く行為、叩かれる行為が問題視されています。少し前は、匿名であるべきか実名であるべきかの議論も盛んに行われていました。確かに実名制のコミュニティの方が、荒れにくい傾向はあるようです。しかし、本質は匿名か実名かではなく、ネットが何をやってもいい「安全地帯」と考えられていることが原因と考えます。

「安全地帯」から批判的な意見を言われた場合、意見を言われた側は直接反論することができません。掲示板などでレスを返すことができたとしても、安全地帯にいる相手とは議論になりません。対話が機能するには同じ目線の高さであることが必要だからです。結果的に批判された側は、目の前の相手に言われるよりも、多大なストレスを受けることになります。

最近では、ネットの安全神話も少しずつ崩れはじめましたが、安全と思い込んでいる人もまだ多いようです。そして、安全な場所から何を言っても平気という考えから攻撃的な発言をしたり、正義感を振りかざしたりします。構ってほしさのためか、被害者と加害者の両方を演じる自作自演もあったりします。

大勢の人が叩く側にまわったことは近年の風潮ではありますが、それがネット文化とイコールであるかのように語られるのは残念なことです。
なぜ、大勢の人が叩く側になったのでしょう。ネットが安全地帯だからという理由に加え、批判することが「カッコイイ」と見えてしまったことで、多くの人が真似をしたとも言えます。今ではそのピークを過ぎて、安全地帯から叩く行為が「カッコワルイ」と考えられる風潮も、徐々に拡がりつつあるようです。ネット社会の成熟過程が僅かながらも感じられます。

以上のように考えると、匿名・実名という機能的側面ではなく、それを使う人間の文化的側面の影響が大きいように思います。そう考えると、匿名であっても荒れにくいコミュニティを作る方法が浮んできます。その一例を具体的に語ってみましょう。

キャラフレは自分のアバターを介してチャットを行う、アバターコミュニティです。
人間がコミュニケーションをとるとき、どんな人間として振る舞うか、すなわち「キャラ」を演じることは意外に重要なことです。そして、キャラフレではその「キャラ」をアバターとして可視化しています。
当然、自分のキャラには愛着がわきます。おしゃれな服を着せて、かわいく・あるいはかっこよく見せるように育てます。アバターに愛着が出てくると、一つの人格として認識するようになります。ニックネームだけのコミュニティと比べ、アバターのおかげで社会の一員としてモラルを意識した発言するようになってくると実感しています。

もちろん一部には、正しくゲームを遊びコミュニケーションを楽しもうとする目的でない人もいます。でも、キャラをちゃんと育てているかどうかにより、そもそもの目的が荒らすことだったのか、判断の目安になってきます。

コミュニティを荒らさない方法は、実名制にすることが唯一の方法ではないですし、他にもいろいろなアイデアを盛り込んでいく余地があると考えています。

 

【連載】仮想世界の暮らし方 第9回” に対する意見

  1. 片瀬真宵

    キャラクターというアバターに愛着が持てる一方で、一つの受け皿で全てを受けとめ切れない。もしくは、用途(荒らし等含む)や会話相手に応じてアバターを使い分けているという行為が存在する現状があると思います。これも、一種の安全地帯の作成と考えることが出来ると思うのですが、濱田社長としてはどうお考えでしょうか?
    規約から考えると解答しづらい質問で申し訳ありません。

    • 濱田功志

      コメントありがとうございます。
      こちらも、答が長くなりそうなので、質問コーナーでお返事させて頂きますね。

  2. ピンバック: 悪い噂を流された時はどうすればいい? | 2.5次元ではたらく社長 濱田功志 のブログ

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