私がゲームクリエイターを目指した理由
大人にとっても子どもにとっても、空想世界は現実からの逃避先になります。現実逃避と言うとなんとなくネガティブな印象があるかもしれませんが、私はどんどん逃避していいと思っています。空想世界へ逃避することは、現実のディズニーランドに行ってリフレッシュ効果を感じるのと、なんら変わりありません。
大人にとっても子どもにとっても、空想世界は現実からの逃避先になります。現実逃避と言うとなんとなくネガティブな印象があるかもしれませんが、私はどんどん逃避していいと思っています。空想世界へ逃避することは、現実のディズニーランドに行ってリフレッシュ効果を感じるのと、なんら変わりありません。
私がパソコンと出会ったのは小学校6年の頃です。ゲームウォッチは既にありましたが、ファミコンは登場する前です。ワンボードマイコンの時代は既に過ぎており、ディスプレイモニターに繋がったキーボード一体型の8bit機の時代になっていました。
21世紀に入り、世界が大きく変わったことはなんでしょう?
宇宙旅行も人工知能も実現していませんが、いつでもどこでも繋がっていることが当たり前のネット環境は、20世紀には無かった技術です。電車の中で、誰もが手のひらサイズの高精細ディスプレイを見つめ、刻々と変わる情報を収集している。その風景は、NTTドコモからi-modeが登場する1999年頃までは、誰も想像していませんでした。
2015年になり、スマートフォンもますます普及してきました。いつでも、どこでも繋がっている社会がいよいよ訪れたと言えるでしょう。
日本は戦前までの「村社会」文化から、高度成長期の「都市社会」文化へと移り変わってきました。「村社会」では、小さなコミュニティの中で、人々が助け合い、共同生活を営んでいました。独りぼっちでは、食べ物の確保すら難しかったのです。もし、私欲に走ったりモラルに反する行動をとって村を追われたりすると、生きていくことができない時代でした。
近代化により「都市社会」が生まれると、人は一人で生きていくことが可能になりました。村を出て都市に移り住んだ人々は、お金を稼いで食料を買うことで、助け合う必要すらなくなります。そのことを自由と考えた人々は次々と村を出て、一気に都市化が進みました。
しかし、ネットの普及により、都市の人々は急激につながりを求めはじめます。しかも、数十人単位で家族のように固まっていたかつての村社会と異なり、日本中・世界中という規模で、つながりが張りめぐらされようとしています。
明らかに「都市社会」と異なる文化を形成しつつあり、新しい「情報化村社会」の到来と呼んでもいいでしょう。