【連載】仮想世界の暮らし方 第7回

学校への憧憬

同じ年齢の子どもを40名単位の教室に隔離して、理想化された教育を施そうとする現在のシステムを「近代教育」といいます。様々な批判や議論はありますが、根本的に見直される様子はなく、国民全体がそのシステムに組み込まれています。

根本の目的である、大人社会から子どもを切り離し、理想教育を施すという考え方に反論するつもりはありませんが、万人に対して理想通りにシステムが機能しているとは言いがたいのが現実だと思います。

近代教育には(1)「同年齢40名単位のコミュニティという特殊性」(2)「選択や、やり直しのチャンスが無いこと」という2つの特殊性があると考えますが、それらにについては、機会があれば改めてとりあげたいと思います。その前に、学校というものが幼い頃から、さも理想の空間のように意識に刷り込まれる一方で、何らかの不満や不幸せを感じる人が少なからずいる現実について考えてみたいと思います。

アニメやコミック、ライトノベルの世界では、楽しい学園生活を描いた「学園モノ」が、一大ジャンルを形成しています。秀でた空想力を持った大人が学園モノの作品を世に送り出しており、また一大市場を形成していることから、理想の学園生活を空想で補完したい人が相当数いると考えられます。

マーケティング視点から「学園モノ」の流行を追ってみると、自分がヒーローになってセカイを救う話から、平凡なあるいは気弱な自分がモテモテになる話の流行を経て、最近は舞台が女子校で主人公たるべき自分は登場せず、女子のほのぼのとした日常を眺めるだけの作品へと流行が移っています。若者の詳細な精神分析や、サブカル論的な時代背景の分析も、別の機会に譲るとして、私が気になるのは若者がコミュニケーションに対し、どんどん苦手意識を強めているのではないかと思うことです。

「学校」はいつの時代も理想と憧れの場所です。
学校に不満や生きづらさを抱えたまま青春時代を過ごしてしまった若者や、苦しみながら今も学校に通っている若者も、学校への憧れを捨てきれずにいることが、これだけ多くの空想作品を産み出しているのでしょう。

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