【連載】仮想世界の暮らし方 第2回

※写真は下北沢に現存するAMIGAの看板。昔はいたるところで見かけたように思います。

パソコンとの出会い

私がパソコンと出会ったのは小学校6年の頃です。ゲームウォッチは既にありましたが、ファミコンは登場する前です。ワンボードマイコンの時代は既に過ぎており、ディスプレイモニターに繋がったキーボード一体型の8bit機の時代になっていました。


マイコン誌と呼ばれていた雑誌には、NECや富士通、SHARPや日立などの国産機を始め、AppleやCommodoreなどの海外製パソコンが紹介されており、買うならどれがいいだろうという妄想に耽る毎日でした。
もちろん、そういったパソコンを手に入れられるのは、父親がそういう仕事に就いているなど特殊な家庭に限られていました。私が自分専用のパソコンに触れるのは、空想世界の中でのことでした。それでも唯一本物のパソコンに触れられる機会は、日本橋という大阪の電気街で売場の一角に置かれていた、BASIC言語で動く簡単なゲームのデモンストレーションでした。

私は電車賃を工面し、日曜日ごとに頻繁に通いました。その当時の強烈な印象として記憶に残っているのは、アストロボンバーと呼ばれる横スクロール型のシューティングゲームです。
地上にある敵の基地や砲台を破壊しつつ、画面右方向へスクロールで進んでいくそのゲームは、被弾して自機が破壊されれば、また最初からやり直しです。私は、より多くの基地を破壊して高スコアを目指すことより、まだ見ぬスクロールの先にどんな世界が広がっているだろうという期待感に魅了され、何度も何度もプレイしました。

もちろん、今とは比べ物にならないチープなグラフィックで描かれた世界です。しかし、SF的な空想世界の中に自分が居るという没入感を体験をするには十分なものでした。
私の脳は、その時「空想」を「体験」として認識したのです。それはバーチャルなものでしたが、脳が身体経験として認識したことで、強い記憶として心に焼きついたのでしょう。

そんな私が実際にパソコンを手にいれるのは、大学時代まで待たねばなりませんでした。世の中は16bitパソコン全盛期で、32bit時代がまもなく来るタイミング、16bit機に買い換えた友人から格安で譲ってもらった8bit機によって、私がプログラミングにのめり込む人生がスタートします。

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