公式部や大手同好会の閉鎖的で格差的な現状を緩和する方針はあるのでしょうか?

本日は、キャラフレのユーザーさんから届いた質問にお答えしてみたいと思います。

PN:匿名希望さん

公式部や大手同好会の活動や人材が固定化してるようで入り込みにくく、盛大な展示物の前では弱小同好会の展示物が見向きにされないような気がします。閉鎖的で格差的な現状を緩和する方針はあるのでしょうか?

そのような実態の程度はさておき、ありがちなことだと思います。そのことに対して、どのように考えるべきなのか考察してみましょう。

殆どの人が、既に出来上がっているコミュニティに入りづらいもの

まず、「公式部や大手同好会の人材が固定化している」点ですが、これは誰のせいでもないと思うんです。

既に出来上がっているコミュニティに、新しい人が入りづらいのは、ネットだけじゃなくリアルでも良く見られる光景です。もちろん、躊躇なく入っていける人も中にはいますが、そういう人は「コミュ力」があると言われる、一部の人たちだと思います。

もちろん、団体側で閉鎖的にならないように努力をしている場合が多いのですが、その努力も団体目線になりがちです。団体側が、新しい人を歓迎しようとすると、ついついお客様扱いになってしまいますよね。もちろん、それが悪いと言っているわけではありません。お客様扱いをしないと、入ってこれない人が多数いるからです。

でも、お客様扱いをすることで、ホストとゲストのように垣根ができてしまいます。その垣根が、見方によって「閉鎖的」と映ってしまうのではないでしょうか?

つまり、既に出来上がっているコミュニティが閉鎖的になるのは自然なことであり、その点を問題にしても解決しないと私は考えます。

 

盛大な展示物の魅力もあれば、小さなコンテンツの魅力もあります。

つぎに、展示物の盛大さについて考察してみます。視野を広げるために、オンラインゲーム市場の中での「キャラフレ」に置き換えてみますね。

開発費に数億円かけて、数百万人のアカウントを集める某有名RPGなどと比べると、「キャラフレ」は弱小なコンテンツです。では、盛大なコンテンツに価値があって、弱小なコンテンツに価値が無いのでしょうか?

もし私が「ビッグタイトルが羨ましくないのか?」と聞かれると、羨ましい点もあるかもしれませんね(笑)。でも、妬ましいと思ったことはありません。

確かに、世の中で話題になるのはビッグタイトルです。でも、そのせいで「キャラフレ」が埋もれてしまうとも考えたことはありません。

後発であり、弱小であることは、しょうがないことですが、それは価値がないことでしょうか?違いますよね。

小さくても小さいなりにやるべきことがあり、少ないなりに人が集い、自分たちだからこそできることがあるんじゃないでしょうか?

 

見てくれている人はちゃんといます。

部活動の話に戻します。大きくて賑やかなところが好きで、そういうところに集まる人もいれば、多人数は苦手で、こじんまりとしたところを好む人もいます。

学園祭の時も、「いつも人がいる部屋には入りにくいから、人がいないところを狙って入る」という人もいます。小さな同好会の展示物が、そういう人に好まれているとしたら、どうでしょう?

ついつい同時に集まっている人数に注目して、「見向きもされていない」ように感じたのかもしれません。でも、賑やかすぎるのが苦手な人は、きちんと見てくれているわけですし、ありがたいと思われているかもしれませんよね。

私は、コンテンツに魅力があれば、集まる人数は関係ないと思います。掲示板などで感想を集めているところが多いと思いますが、小さなところでも、応援のメッセージは書き込まれていたことでしょう。

知らないところで見てくれている人はちゃんといるものです。

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